2013年9月29日日曜日

黄金色の、秋田地方鉄道歴史探訪_その1

お仕事でお世話になっている鉄道愛好家のみなさんのツアーに加えていただき、黄金色にいろづく秋田地方の鉄道に関する展覧会の見学にいきました。

最初の目的地は、盆踊りで有名な西馬音内地方を走っていた羽後交通旧雄勝線の梺(ふもと)駅跡。羽後町西馬音内地区の元西小学校の下に、その駅はあったようです。
とにかく本日は天高きドライブ日和の好天気です。そして10人乗りのワンボックスカーに鉄道上級者のスペシャルガイド付きツアーという贅沢な遠足であります。

羽後交通雄勝線は、湯沢から梺までの11キロあまりを結んでいた電気鉄道路線で、穀倉地帯である近在の農作物や林産物などを県内外に運ぶ役目で活躍した鉄道で、地元の人たちには「雄勝鉄道」とか「雄勝電鉄」と呼ばれていたそうです。最盛期には1日のべ1800人の通勤通学の利用者があり、1日10往復のダイヤが組まれていたそうです。しかし、他の小さな鉄道と同じように、モータリゼーションなど時代の流れに抗せず、部分廃線や電化廃止などを経て昭和48年に全線廃止となりました。

その「雄勝線」で活躍したデハ3が、梺駅跡に静態保存されているというので訪ねていったわけです。車両はきちんとした屋根付きの建て屋に入っていて町が管理しています。普段は平日で、要望があれば鍵を開けてくださるそうですが、今回は特別に見せていただくことができました。

ダブルルーフのちんまりした木製の電車です。地元の人たちがペンキを塗って保守をしているので、とてもきれいです。この電車が走っていた往時の記憶を呼び覚ましたり、そのことの意味を伝えるものとして、とても大切にされていることが伝わってきて、頭がさがりました。
(トンネルを掘って地下鉄を通せる財力がありながら、公園の蒸気機関車1両も管理せず、腐らせてしまったS市の関係者に見ていただきたいと、毒づきたくなりました。)

代車には羽後交通のペンキ文字が…。

この車両は創業当時からの車両で、初めは荷物室がついた手荷物合造車ということでデハニ3号車だったそうですが、昭和9年に荷物室が撤去されて客席が増やされ、乗客定員が28人から48人になったそうです。
ペンキできれい再塗装されていることもありますが、丸窓や鎧戸付きの下降式窓からたくさんの光が差し込んできて、木製の車内はとても明るく、得難い懐かしさを持っていて、魅力的。この電車が今も走っていたら、揺れる車内から西馬音内地方の黄金色に輝く実りの風景を楽しめたことでしょう。

さて、秋田では今、鉄道マンスリーといいますか、鉄道をテーマにした展覧会が同時多発的に開催されています。

そんなわけで、次の目的地は横手市内にある雄物川郷土資料館。
10月20日まで開催中の特別展「横荘線展 ー横手駅5番ホームの記憶ー」を拝見しました。

羽後交通旧横荘線は、秋田県の内陸・横手盆地の横手駅と由利郡東由利村(現・由利本荘市)の老方駅を結んでいた(38.2Km)単線非電化の鉄道路線で、地元では「横荘っこ」と呼ばれて愛された鉄道だそうです。横手ー老方間なのに、なぜ「横荘線」かといえば、本当は羽後本荘まで繋げる計画だったからみたいです。

横荘線も昭和46年に全線廃止になった路線ですが、関係資料が散逸しないようにちゃんと保存したのでしょう。特別展示室には、停車場や車両の青焼きなどの書類、写真、道具や部品などなど、所狭しとありとあらゆる残された資料が展示されていました。(青焼きの現物展示は、正直、心臓バクバクでしたが…)どれも「使ってた」感がありありで、資料の力を感じました。
また、地図上に落とされた路線図と、新旧の写真比較などは手作り感に溢れていて「横荘っこ」の本領発揮というところでしょうか。
それにしても、いったい誰が残したんだろう。
資料館には、常設展の方にも「横荘線」のコーナーがあったので、鉄道の歴史はこの地方の歴史資源として大切なテーマなのでしょう。

羽後交通の歴史について、勉強させていただき、いよいよお昼。
空はあいかわらず高いです。赤とんぼが気持ちよさそうに飛んでます。(画面の左上にいるんですが…わかりますかね)

お昼はみなさんと一緒に、秋田名物・稲庭うどん定食。
お昼から贅沢ですわ〜。マカロニ替わりにうどんの切れ端(伸ばす時に折り曲げた部分で厚くて短い)を使ったサラダが乙でした。

穀倉地帯をさらに秋田市内に向け移動。(な、なんだこのどでかい変電所は…!!)
今度は、秋田県立博物館で開催中の「あきた大鉄道展」を見に行きます。

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