2011年11月15日火曜日

水俣病から福島原発事故を考える 水俣・白河展講演会

○水俣病から福島原発事故を考える
   水俣・白河展講演会

日時:2011年11月13日
会場:ホテルサンルート白河
主催:水俣・白河展を開く会
共催:アウシュヴィッツ平和博物館・水俣フォーラム
【プログラム】
司会あいさつ 竹下景子(女優)
主催者あいさつ 小渕真理(水俣・白河展を開く会代表・アウシュヴィッツ平和博物館館長)
講演 森 達也(映像作家)
講演 緒方正人(漁師・水俣病患者)
 (休憩)
講演 鎌田 慧(ルポライター)
座談 森 達也・緒方正人・鎌田 慧・竹下景子
おわりに 実川悠太(水俣フォーラム事務局長)


○覚え書き
(*テープ起こししてまとめたものではありません。ときどき集中力を欠きながらメモしたものから書き出したものであることをご了解ください)

【森 達也】
・「メディアの不作為」について。
よく東電・政府・メディアが一体化してウソの情報を流していた!?と言われるが、そこまでメディアは劣悪ではなかった。しかし、後手に回ったのは事実で、メディアの機能を果たしていなかった。それは事態がよく分かっていなかったからだろう。
事故当時、メディアは原発に入れない、現場にいけなかった。(しかし、入るべきだったと今は思う。)
メディアは人が作っているものなんだから、幻想を持ってはいけない。懐疑的に接するべき。
リテラシーとは元々「識字」のことで、活字メディアが中心の時代は文字を理解する教養が必要だったので、マスメディアになれなかった。しかし、映像(映画)・音響(ラジオ)の発明によってマスメディアが成り立つようになり、その結果、20世紀前半にはナチのような全体主義を生んだ。映像と音が一緒になったテレビはさらに功罪が大きく、メディアはもともと負の作用を持っている。テレビはさらにネットに融合しようとしている。近い将来、メディアはインターネットに収斂されて行くだろうが、それはとても危険な状況である。
・「集団化」について
大きな災難や国難になったとき人は群れる。弱い動物は群れ、強い動物は群れない。人間は非常に社会性の強い臆病な動物だ。震災でも水俣でも、人間の本性として「同調圧力」が働く。そもそも「頑張れ日本」というようなメッセージは被災していない人たちが胸に秘める言葉で声高に発する言葉でない。しかし、被災地の惨状を目にするとサバイバーズギルト(生き残っている罪悪感・うしろめたさ)があるから「まとまろう」とか「誇り・品格」という言葉を言いたくなる。
19世紀は侵略戦争があったが、20世紀は自衛戦争。それを支える集団の意向を伝えるのがマスコミ。メディアは日本をこうしようああしようという気がなくてもそっちに行ってしまう。
原発は現在54基作られ、隠していたわけでもない。でも「安全神話」というものがあり、見逃していた。
モンゴルにはこんな言い伝えがある「羊は頭が悪いから家族が困る、山羊はずるいから家族が助かる」羊は保守的でそのままにしていると動かないので草を根こそぎ食べてしまう。山羊はあちらこちらと動き回る。日本人は羊度が高い。山羊が必要、適正な山羊な数だけ山羊を入れる必要がある。ハイチ31万人、四川9万人、スマトラ20万人が亡くなった。でも、それは他人事だった。いま自分たちがもつ後ろめたさを持って山羊度をあげれば、たぶん日本は変わる。自分たちの意識が変われば、メディアが、国が変わることができる。

【緒方正人】
私は不知火の魚の代理人としてここに来た。日本に54基も原発をつくっておきながら「事故」という表現に違和感がある。水俣はチッソ工場の産廃不法投棄「事件」である。不可抗力の響きがある。
水俣では胎児性患者の年齢が50歳代になった。生まれ育った町が現場で、この問題から逃げられない。「水俣病の時代に生まれ育った」という認識。
海の異変は昭和17年には起きていたが、水俣病の公式認定は昭和31年である。敗戦の時には、すでに次の問題が浮上していた。
「水俣病は文明病の立ちあらわれ」であった。
福島第一原発では海に放射性物質が放出されているが、他の生き物への気遣いがない。プランクトンは?魚は?金でごまかすことは人間社会でしか通用しない。地球や他の生物へは全く通用しない。謝罪できるとしたら金ではない。では何なのか?
保証金は、手切れ金代わりである。そんな金はいらない。自分の初心は狂い死にした親父(緒方さんのお父さんは急性劇症方水俣病でなくなった)の仇討ち。しかし、チッソとは何か?と問い続けて「チッソは自分であった」という答えに行き着いた。
「東電とは何なのか?国家とは何なのか?」
福島の人たちはまじめに生きていたのに、国から棄てられた感じ、誰を信じていいか?という感じを持っていると思う。
しかし、国家は化け物である。
チッソは「JNC」と社名変更した。これは「偽装倒産」みたいなものだ。文明が現代社会の中で最も危ないものの象徴。電化製品に囲まれていながら、「原発反対」には矛盾がないか。外なるチッソ、内なるチッソ、被害者でもあり加害者でもある。
「国」には2つある。①制度国家としての日本、②生国としての日本。生国に毒を撒いてしまった罪深さ。苦しんでいるのは、人間だけでなくて土地そのもの、他の生き物。人間に「目覚めて欲しい」と言っている。本当の豊かさとは何なのか…?ひとりひとりの問い直しが求められている。
ここに住む方向性をこれ以上国に左右されなくてもいいのでは?日本の保険制度、健康制度、年金制度などがものすごいスピードで壊れている。
フクシマと水俣の共通点は、人間の産業社会が生命世界を壊しているということ。別枠の問題でない。責任主体としての人間の真価が問われている。

【鎌田 慧】
7月31日原水禁の大会で原爆の被爆者と原発の被害者が会った。あってはならない出会いだった。「何のための原発反対運動だったのか?」原発を反対しながら、原発の体制を受け入れてしまった。原発の安全利用(アイゼンハウアーの平和利用宣言以来、黙々とやられてきたことに)という大ウソに何の抵抗も出来ていないなかった。中曽根がたてた23500万円の予算は広島に落ちたウラン235の語呂合わせ…など。
昔から「白河以北一山三文」と言われたが、日本の原発の半分が東北にある。奥羽越列藩同盟じゃないけれど、明治政府にこてんぱんにやられたところには原発が押しつけられている。
六カ所村の寺下村長の話。

原発がなければ原爆は作れない、つまり、核武装に繋がっている…とアジルことはできるけれど、そういうことではない。原発をやめたとしても、この先膨大な金が掛かる。
人間が全てコントロール出来ると思ってやってきた。何故か?安いから。しかし、それどころでない事態。経済的な保障だけでなく、子供たちをどうしてくれるんだ。
フィンランド映画「10万年後の安全」の話。
来年の3月11日 福島で大江健三郎さんらと大集会をやります。
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大友良英
2011年4月28日 東京芸術大学での特別講演から抜粋
「…(前略)…福島の人たち、原発に怒り狂ってると思うでしょう? 怒ってますよ、もちろん。怒ってるけど、言えない感じもあるんですよ。それは福島に育った人なら分かると思うけど、福島のいろいろな土壌もある。原発を推進してきたという負い目ももちろんあるけど、そんなことじゃない。

その本質的なことは何かというと、さっきのナイフの例えになるんですけど、ナイフで刺されて倒れている人がいるとするでしょ。まだ息はあって死んではいないし、病院に運べば大丈夫という人がいる。その人の前に、突然、東京から元気な正義感に燃えた人が来て、「ナイフ、ヤバイっすよね。ナイフ反対運動をしましょう!」と言うのにニュアンスとしては近いと思うんだよ。それはマズイ。マズイというか、まだその時期ではない。それよりも、そのけがをしている人たちをどうしたらいいか、という問題がひとつ。

だけど、ナイフで差されたけがならお医者さんのところに連れて行って縫えばいいよね。だけど今回のけがは、僕は、福島だけの話ではなくて、東京の人も含まれると思うけど、やっぱり「心」だと思うんですよね。「心」とか、オレ、今まであんまり、恥ずかしくて使わなかった言葉なんだけど、心の傷を治していくのは精神科のお医者さんだって言われるかもしれないけど、そういう傷とも違うんですよね。個人の問題ではなく全体が傷を負っている。その大きな原因は、これはもう素朴に、自信を失っていることだと思うんですよ。」

よく分からないけれど、虫六が福島のことを思うときに、何かしら心の引き出しから出てくるのは、この大友良英さんの言葉だったりする。フクシマの人たちはうまくナイフが抜けた状態なのだろうか?…回復に向かうコンディションはまだ整っていないと思う。本当は自信を取り戻すために何をどうすればいいか?そういう示唆を求めているんじゃないのかな?いずれフクシマで「原発再稼働」なんて思っている人がいるとしたら、それはもう狂っているとしか思えないもの。
もちろん、話をくれた人たちは、現場をもって闘って来た人たちです。そして、震災の後ですぐに現場に入っています。フクシマのおかれた状況を誰よりも分かっている人たちだと思います。だから、より慎重に言葉を選んでいるのかも知れなかったのですが、虫六個人としては何となく消化不良のまま、帰りの新幹線に乗ったのでした。

【今日の蛇足】

金欠につき、行きを各停で、帰りは紙芝居ネットワークの定例会があったので時間に間に合わせるために新幹線に乗りました。何とか安く行こうと格安チケットを探したけれど、「白河」というちょっと微妙な駅だったので、うまいチケットが見つけられず、帰りだけ新幹線の回数券を買いました。ところが緑の窓口で白河までの乗車券を買おうとしたら、「小さな旅ホリデーパス・南東北フリーエリア」なる切符を紹介され…。行きが2900円余りのをエリア内乗り降り自由で2500円。特急券を買えば新幹線にも乗れる…。つまり帰りの乗車券分2900円弱が丸損つことでした!!!勘弁しろよ〜であります。
しかも、定例会に行ったら会員の参加なし。世話人2人とゲストのKさんで四方山話をして帰ってきました。どすか?

なんだか、へとへと。



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