2011年6月19日日曜日

震災から101日

震災から101日が立ちました。
もう、随分前から心境的には「線量0.03µSv/h増を受け入れつつ暮らす」という割り切りをして過ごしていて、そんな日記を書こうと思っていたんですが、なんだかまだ言葉がつなげずに今日に至ってしまいました。


…いえ、本当に差し障りのあることばかりが頭の中をめぐるので、ブログなんかにゃ書けないんですが。
こうしてライフラインが戻って、一応の暮らしが戻って来ると、S市に住む自分は家族も家も仕事も大事な物は失っていないわけで、そんな被災者でもないものが狼狽えていてはいけないと思ってしまうのですよ。

もちろん原発は収束していないし、測定ポイントで線量の値も違ってくるということもあるわけですが、それでもS市あたりは、田村先生のモニタリング東北大のモニタリングを見る限りにおいては、大気に混じって流れてきた放射性物質はとりあえず残っていないようだし、雨が降っても線量が上がることはないので、震災直後の爆発で流れてきたセシウムが土壌に残留したものが0.03µSv/h程度の線量を上げているという理解なのですが、0.08µSv/hという数値は他の都道府県に比べれば低いということではないけれど、福島のことを考えれば大騒ぎする量じゃない…と思え、とりあえず福島原発の成り行きを警戒しつつ、有事の場合に備えて今日の風向きとドイツ気象局の放射線拡散シミュレーションを確認し、食物からの内部被曝に用心して(「全国放射能データ」をまとめて公開しているサイトなどを参照しながら)、状況を受け入れつつ暮らそうと決めたわけです。

だって、日本人はもう世界に対して加害者なんだから、震災前にはもう戻れないんだから。

とは言いつつ、新聞やツイッターやチェックブログやテレビニュースや…、寝る時間も読書時間も削って、彷徨いている情報収集作業で入ってくる様々なレベルの情報・ご意見に、いちいち動揺し、逡巡しながら、ときに怒りに打ち震えながら、いちど覚悟したはずの心構えが揺らぎに、そんなこと思っちゃいけないのか?と考え直しながら、今日もびくびく、何が出来るわけでもなく暮らしていたりします。気仙沼で港を再開したり、石巻で工場を再開したりしている人たち、本当に頭が下がります。

なんだかカオスです。

……

福島心配。
人の流失が止められないし、このままでは戻って来れないよ。
しかも、たぶん県の主導で農家が作付けをはじめているので、一部の人たちから「加害者」とか「殺人者」とか言われています。県がちゃんと状況を把握して、今年は無理に栽培しない(どうせ売れないのだから)で、つまり土地を耕さずに、汚染された地面を除染することを考えて欲しかった。今からでも!
でも、何もせずに居れなくて、種をまいてしまう農家の気持ちも分かるんだ。汚染水が大量放出されても、大好きな海に漕ぎ出したい、漁の再開に一縷の希望を持っていたいという漁師さんの気持ちだって想像できる。
他の土地からそれを言う人は、それを口にしないという選択肢があるけれど、リテラシーがない状況で作物を作る福島の生産者は、売れない作物を結局自分たちで食べることになるだろうと思う。そのことが本当に安全なのか、国や県は保証できるのだろうか。賠償金の計算よりも、まず県民の安全を優先してほしい。

いま米を作ったらもう30年(ってことはセシウムの半減期を言っているんだと思うけど)は福島の米が食えなくなると言う人がいるけれど、その意見にはどんな根拠があるのだろう。今年作って、やっぱりダメだなということになったとして、来年客土しても、もう遅いってことなのかな?つぶやいていないで、その根拠を明らかにして国会議員とか県議会とかに意見書出して欲しいよ。
土壌汚染学の専門家を県の農政指導に加えるべきでは?!行政は手を打っているのかな。

三春在住の玄侑宗久さんが「緊急動議」を公開しています。
福島県人の命だけが軽く扱われていいということがあってはいけないと思います。
福島を汚染の土地としてだけ見ずに、ここに住んでいた人、残っている人たちの状況を汲んで欲しいです。
相馬野馬追いは、日程も変更して1/5の規模でやることになったそうです。
1/5。
それが今、あの地域で出せる最大限の力なんだと思います。

ともかくも、S市では概ね普通に暮らしています。
どうぞ福島の人たちに心を寄せてください。




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