2011年3月18日金曜日

避難所暮らし_3月12日震災2日目

朝方、でかい余震。新潟方面で地震があったらしい。日本列島に地震が連鎖しているのだろうか?
朝、Tに電話通じる。交通は不明だが、帰る方法を探すとのこと。しばらく帰って来れないかも…と思う。

河北新報が届いていた。朝日新聞は来ない。
地元に印刷所がある新聞はやっぱりこういうとき強いんだな、と思う。

断水のため、共同トイレが水が流せないので早くも紙でいっぱいになっていた。
ゴミ袋を買っていたので、紙捨て用の袋を取り付けて、ここに捨てるようにサインを書いておく。

まずは、自宅を見にいってみることに。
靴を履いたまま、中へ。
虫六子の部屋。3連の本棚が倒れて机を押しだし、入り口が塞がれていた。

本棚の中板ごと総崩れ…。
リビング。
普段から散らかっているので、ここは同じか…(うそです)
CDと本が崩れていたけど、本棚は立っていた。
鍵を閉めていたはずのサッシの窓が開いている。
ここも荷物がテーブルを押し出して中に入れない。
勇気をだして、机をよじ登って中へ。

キッチン付近。どへ〜。冷蔵庫もあいていて、食器棚も中身が落ちて空っぽ。

本棚がずれていたので、裏を覗くと、Tのオーディオが…。

虫六のパソコン部屋。パソコンがひっくり返って荷物に埋まっている。
生きてるか〜!

慙愧丸の色紙は無事でした。

これは、男手なしには手がつけられないな〜とあきらめて、今日も集会所で寝ようと決め、寒いので羽毛布団を運び出す。

次は、物資保管庫として車があった方がいいなと思い、職場へ歩いて取りに行く。
途中の小売店が店を開いていたので食料を補給。おせんべいとミカン、缶コーヒーをゲット。
中学校は留学生などの外国人でいっぱい(近くに留学生会館があるので)。
コンビニ前に公衆電話の列がずらっと出来ている。

職場の前の駅は封鎖。
職場も泊まり込み待機の人たちがいたらしい。若い女性同僚もそうだったらしく…「ええっ、家に帰して貰ってないの?」
ストーブがあり、虫六子暖まる。集会所より居心地がよさそうなので、しばらく居る。
コーヒーを貰う。
近くの生協に行ってみると、暗い店内で条件付きで在庫品を売り出していた。並んで入り、春雨スープ、軍手、ビニール袋など購入。即席食品や水、電池の類は既にない。
購入条件は「3000円以内」「電算機が使えないので千円単位で金額を言うので支払ってくれ」「冷食関係も売るけれど、自己責任で処理してくれ」などなど。
職場に戻って、お湯を貰って虫六子と春雨スープを食べる。
携帯の電池切れてきた。Sさんが自動車のバッテリーで充電できる機材を持っていたので、充電してもらう。スマートグリッドだね。

車を自宅に戻しに帰ると、伝言板にTが帰って来て自宅にいるとのメッセージが!
近くのお寺で井戸水をくれるという情報も張り出してあったので、バケツを取りにともかく自宅へ。
しかし、Tの姿無く、鞄がおいてある。こんな部屋に鞄を置きっぱなしにしてどこかに探しにいったのか?と、バケツとTの鞄を持って、下に降りる。集会所にもいない。Tを探しつつ、お寺に井戸水をもらいにいく。
これをさらに、マンション10階まで階段をのぼって運びます。
自宅でTと遭遇。緊張していた虫六子の顔がほころぶ。ひとまず安心。

相馬の実家に連絡が付かない。少し離れたところにある公衆電話まで行き、かけて見るがだめ。177の伝言ダイヤルにメッセージ入れる。

停電であたりは真っ暗。星空がすごく綺麗だ。

大学病院だけが不夜城のように明るい。非常電力か…。


今日も集会所で夜を迎える。昨日10組以上いた家族も同じ階のお隣さん2組になった。1階にも何家族かいるが、実家に帰ってしまった世帯や、部屋の被害が少なかった世帯はとりあえず戻ったらしい。
晩ご飯、Tが山形から買ってきたカステラ、みかん、せんべい、お茶。

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