2010年12月12日日曜日

日生劇場_摂州合邦辻

今月、日生劇場には音羽屋劇団の「摂州合邦辻」がかかっております。

この劇場は二度目ですが、初めてグランドサークルという中2階の席が当たりました。
花道の真上です。花道を行く役者の顔は見にくいけれど、全体が見渡せてなかなかいい席でした。

○日生劇場 十二月大歌舞伎
平成22年12月2日(木)~25日(土)

通し狂言 一、摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)
 序 幕 住吉神社境内の場
 二幕目 高安館の場
     同庭先の場
 三幕目 天王寺万代池の場
 大 詰 合邦庵室の場

 玉手御前 菊之助
 羽曳野  時 蔵
 奴入平  松 緑
 次郎丸  亀三郎
 俊徳丸  梅 枝
 浅香姫  右 近
 桟図書  権十郎
 高安左衛門  團 蔵
 おとく  東 蔵
 合邦道心 菊五郎


平城遷都1300年記念 
二、春をよぶ二月堂お水取り 達陀(だったん)
 僧集慶  松 緑
 堂童子  亀 寿
 練行衆  亀三郎
  同   松 也
  同   梅 枝
  同   萬太郎
  同   巳之助
  同   右 近
 青衣の女人  時 蔵


「摂州合邦辻」という狂言はかなり変わった物語…。以下「新版・歌舞伎手帖」(渡辺保・講談社)より、まるまる引用。

【物語】髙安道俊は、正妻を失い、妻の侍女であった玉手を後妻とした。
 道俊の後継者には先妻の子俊徳丸ほか、すでに故人となった側室の次郎丸がいる。次郎丸は年下の俊徳丸が家を継ぐのを不愉快に思い陰謀を計る。それを知った玉手御前は、俊徳丸にわざと恋慕し、毒酒を飲ませ、癩病にしてしまう。俊徳丸は業病を悲観し家出する。
 玉手の実家にはもとは鎌倉武士でいまは頭を丸めた老父合邦と母がいて、家出した俊徳丸と許嫁の浅香姫かくまっている。そこへ訪ねて来た玉手御前は、父母のとめるのもきかずに、俊徳丸をくどくので、怒った合邦は娘を刺す。苦しい息の下から玉手御前が語ったことによれば、全ては俊徳丸を次郎丸の毒手から救う手段で、寅の年月の生まれの自分の生き血を飲ませれば、俊徳丸は病気がなおるという。事実玉手の血を飲んで、もとの美しい俊徳丸を見て、玉手は息絶える。


この演目の成立は、謡曲「弱法師」と説教節「愛護若」「しんとく丸」によって成立した「莠伶人吾妻雛形(ふたばれいじんあづまのひながた)」からさらに脚色されたもので、上下二巻の浄瑠璃。
歌舞伎では下の巻の切「合邦庵室」が上演される…のですが、今回は通しです。
人形浄瑠璃は安永2年に大阪北堀江座で、歌舞伎は明治18年桐座で初演されたそうです。

みどころは、「玉手御前の異様な恋」。
なさぬ仲とはいえ禁断の恋の相手である息子俊徳丸に妖艶な色気でしつこく迫る義理の母。しかも毒をもって癩病に…。物語を最後までおえば、俊徳丸の命を救うために嘘の恋を演じていて、不倫の汚名を着ても、命がけの覚悟で母の役目を果たそうとしていたという、大どんでん返しが待っているのです。が、問題となるのは、この恋が、玉手の言うとおり偽りのものであったのか、本当は真から俊徳丸を愛していたのではないか?というあたりで、演じるもの、見るものによって解釈がかわるという、不思議な物語なのだそうです。

で、今回の菊之助丈の玉手御前は、先妻に使えている時から俊徳丸に恋心をもちつつ、それを隠していたのに、お家騒動をきっかけに自分の生まれ月のめぐりが彼の命を救えるということが分かってその思いを抑えきれなくなり、恋を貫き、自らの命を犠牲にして俊徳丸を本復させるという女性、…しかし鮑の杯が象徴する「所詮片思い」の覚悟を戒めとして肌身からはなさない女性、となっていました。
現代的なところではいちばん納得のいく解釈かな…と思います。
(でも鮑って、性愛的なイメージの象徴という気もするんですが…)

でも作者(菅専助・若竹笛躬合作だそうですが)の気持ちになって想像すると、面白いのは、終わりに繋がる性根とかはあるかもしれないんですけれど、息子への恋に狂って禁断の領域へ身を投じようという女性のグロテスクな_とはいえ血が繋がっているわけではないですが_焔のような情念の、その異様さを書いてみたかったのでは?とか、思ってしまいます。でも、大詰の「合邦庵室の場」だけを上演してしまう(一般的にはこの場だけの上演が多いみたいです)と、その前半の異様さは伝わらず、玉手の聖女感だけが強調されて物語の主題が見えにくくなり、変形して伝わるのではないか?と思いました。そういう意味で、今回の「通し狂言」は、私的には有り難く大歓迎です。
いえいえ、玉手は可哀想な女性なんだよ…という解釈もあるんでしょうけれども。

また今回の菊之助丈の玉手御前は、猫顔がなかなか妖艶で怖かったです。今後も、もっと上演を重ねて、ぜひ十八番にしていって欲しいものです。(というか、なるでしょう)
それと、とても面白い役なので、菊之助丈ばかりでなく、いろんな役者の「玉手御前」がみてみたいと思うのでありました。

次の演目の「達陀(だったん)」。
これも変わった舞謡でした。
男子(しかもお坊さん)のレビュー、って感じですかね?
群舞なので、踊りは難しいのかもしれない…とは思いましたが、正直ピンとは来なかったのね。(申し訳ない!)
照明が暗くて舞台が見えにくいということと、日生劇場の音響が派手で生音感がなく、それがレビューぽく感じたってことでしょうかね。

でも、新しい歌舞伎座でこういう音響になるのは嫌かも…と、強く懸念されました。
義太夫も長唄もちゃんと生音が感じられるホールにして欲しいなぁ。本当に。

日生劇場を出ると、夕方になっていて、有楽町界隈もクリスマスのイルミネーションがきれいでした。

というわけで、今年の観劇日誌もひとまず終了。
歌舞伎座は休場になりましたが、いろいろ観ることが出来て有り難い1年でした。年明けには成駒屋御曹司休演の代演で、な、な、なんと玉三郎丈が「阿古屋」を出すというとんでもないニュースも入っておりますが、1〜3月は見にいけない事情があって、悔し涙。
また「あれが最後の阿古屋でした」とか、爆弾発言がないことを心から祈るのでした。(本気で頼みますよ〜〜(。>0<。)!)


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